妄想闘病記:まえがき

私は40年以上前に統合失調症を発病しました。この病気になった当時から、私の父は催眠術師を雇って私を調べるために催眠術をかけていました。これが私にとっては非常に迷惑なことでした。催眠術のせいで夜も眠れず、統合失調症が発病するきっかけとなってしまったのです。

私にとっての苦痛はそれだけではありませんでした。催眠術の影響で友達との付き合いもまともにできませんでした。常に自分が監視されているような感覚に襲われ、他人との関係を築くことができなかったのです。孤独感に苛まれながらも、私はなんとか日常生活を送り続けました。

10年ほど前、父は亡くなりました。しかし、今度は兄が催眠術を使って私を調べ続けているのです。兄は父の跡を継ぎ、私に対して同じようなことをしているのです。私の心情は複雑です。家族である彼らが私を心配しているのか、それとも何か別の意図があるのか、わかりません。

昨日、私は兄に催眠術の使用についての質問メールを送りました。私は自分の気持ちを伝え、なぜ兄が催眠術を使っているのかを知りたいと思いました。そして、兄からの返事を待ちながら、その内容をこのブログで報告したいと思います。

 

【これは小説ではなくて実録です】
このブログは私の実際の経験と感情に基づいています。統合失調症や家族との関係について、私が直面した困難や思いを率直に綴っていきます。催眠術というテーマには、現実に私が接した出来事が関わっています。

私の目的は、同じような状況に苦しむ人々に対して理解と励ましを与えることです。

 

 

「妄想闘病記:催眠術と家族の複雑な関係」

催眠術の声が長い話で、私は父が催眠術を使っていたことを告げられました。最初は兄の指示でその声を聞いていたという前提で、父が催眠術を使用していたことを知りました。私はこの話を信じたのですが、その理由について考えると、少し複雑な思いもあります。

私が父の催眠術について信じた理由は、2年間にわたってその声を聞かされ続けていたことです。兄の声が、父が催眠術を使っていたと伝えてきたのです。その経緯から、私はこの話を信じることにしたのです。

しかし、私がこの話を信じる理由がただそれだけでは、自分自身に対しても兄に対しても疑念を抱くことにもなります。私は兄を信じてこの話を受け入れましたが、同時に自分自身が兄を信じていないのではないかという思いも抱きました。

催眠術の声が告げた内容は以下の通りです。初めて統合失調症が発症した時、父は催眠術を使っていました。そして再就職した後も、父は職場に対して以下のような話を広めていたのです。「病気のため、私の仕事の遂行能力が低下している。どうか私を支えてくれるようお願いします」という内容でした。

父は兄に対しても、将来的に私の状態が悪化し廃人化していくだろうと話していました。そして、兄には私の将来の世話をしてほしいと伝えていたのです。

 

「妄想闘病記:信じることと真の意思」

前回のブログで述べたように、私は兄が私に対して信じさせようとしたことを受け入れることが重すぎると感じました。その理由は、兄の真の意図が不明であるということです。私は兄が何を考え、何を求めているのかを理解することができないため、兄の言葉をそのまま受け入れることには躊躇しました。

次に考えたのは、兄の真の意図ではなく、兄が表現した内容を信じることです。具体的には、2年間にわたって声が伝えてきた父が催眠術を使っていたという事実を信じることにしました。私は兄の言葉を直接的に信じることができなくても、声の内容が一致していることから、少なくともその事実は受け入れることができるのではないかと考えたのです。

 

 

「家族の葛藤と再生:絆を取り戻して成長する」

私の発病から約5年の間、父との関係には葛藤が絶えず存在しました。父と母の間で一時的な離婚話が浮上し、私もその中に巻き込まれる形で、父の印象は最悪のものに変わっていきました。そして、その後、父は催眠術を使い、私に葛藤の原因を考えさせることで、ますます葛藤が強まっていきました。

私は自分の落ち度を探し求め、結局は私がおかしな話し方をしたことが葛藤の原因だと結論づけました。自分自身の悪い点を考えるのは、人間の心の当然の働きです。しかし、このような結論に至ったのは、催眠術によって私が考えさせられたためとも言えるでしょう。

父を悪者のように思うこともありますが、現在では以下のように考えるようになりました。父は長期間にわたり、私に手紙を送り続けてくれました。その行為は、父の誠実な気持ちが伝わってくるものでした。私が催眠術によって操られていた時、父は私に対して悪意に満ちた人間ではなく、むしろ思いやりを持って接していたことを思い出しました。

また、父や母が行ってくれたことの中で特に良かったと思うのは、兄や久美子さんが私を定期的に呼んでくれるようになったことです。兄の家に遊びに行くことで、私の人生はより豊かになりました。新しい経験を通じて自己成長を遂げ、兄や久美子さんとの関係を築いていくことができました。

 

「声に悩まされる日々からの解放:集中力を活かした対策」

私は長い間、声に弄ばれる悩みを抱えていました。そこで、声への対策を様々に考えてみました。その中で、いくつかの方法が有効だと感じましたので、ご紹介します。

まず一つ目の対策は、声に頭の中で返事をしないことです。声が聞こえても、それに反応せずに無視することが大切です。何を言われても気にしない姿勢を持つことで、声の影響を軽減できます。

二つ目の対策は、意識を声から他のものにそらすことです。声が聞こえたら、意識を音楽やテレビ、読書、将棋や囲碁などに集中させることで、声の存在感を薄めることができます。

また、自律訓練法も有効な対策の一つです。深呼吸やリラックス法、瞑想などの自律訓練法に集中することで、心を落ち着かせることができます。声に振り回されることなく、自分の内面に集中することで、精神的な安定を保つことができるでしょう。

しかし、これらの対策は一時的なものであり、結局は声に影響を受けてしまうことが現実だと感じました。そこで、私が真に有効だと感じたのは、何かに集中することでした。以下にいくつかの集中対象をご紹介します。

まずは音楽です。音楽に集中することで、心を奪われている声から解放されることがあります。お気に入りの曲を聴きながら、心地よいリズムに身を委ねてみてください。

また、テレビや読書に集中することも効果的です。物語や情報に意識を集中させることで、声が背景に隠れてしまうことがあります。

さらに、将棋や囲碁といったボードゲームに集中することもおすすめです。戦略を練り、盤面に集中することで、声が忘れ去られる瞬間が訪れるかもしれません。

そして、再び自律訓練法に集中することも重要です。自律訓練法は、心身のリラックスや内面の安定を促す効果があります。深呼吸や瞑想、マインドフルネスなどの方法を取り入れ、自分自身と向き合いながら声を静かにしていきましょう。

特に自律訓練法に集中できた時は、声が次第に消え去り、調子が良くなることがあります。心の奥底からの平穏感や安定感が生まれ、声に対する影響を軽減することができるでしょう。

 

 

私の発病以降、父ちゃんとの関係について声との対話を通じて考えることがありました。さまざまな仮説や考えが浮かんでは消え、混乱した心情を整理するために、これらをブログにまとめてみようと思います。

まず、発病時には催眠術は使われていなかった可能性があります。しかし、発病前の数週間の経過を振り返ると、それはまるで催眠術のようなものでしか説明できないと感じました。思考や感情が操作され、不眠や統合失調症の症状が現れたのです。

次に、初発の時に父ちゃんがしくじった可能性があります。私は初めて症状が現れたとき、父ちゃんが催眠術を使って私を操作し、誤った方法で対処したのではないかと考えました。その結果、症状が悪化した可能性があります。

一方、発病後は父ちゃんは何もしていなかったという考えもあります。しかし、私は再就職した会社に父ちゃんが私のことを頼んだのではないかと思います。父ちゃんは私の将来を心配し、会社の人に私を採用してもらうように頼んだのかもしれません。ただ、それは余計なお世話だったと後から感じるようになりました。

発病後数年経ち、私が何をしても父ちゃんが怒り出す状態になりました。これは父ちゃんがとんでもない誤解や偏見を持っていたためだと思います。父ちゃんの誤解と偏見が私に対してまずい行動を取らせたのだと思います。

結論として、私は父ちゃんが発病時に催眠術を使った可能性や初発時のしくじり、再就職先での私のことを頼んだことを思い出しました。また、父ちゃんの誤解や偏見が私たちの関係を悪化させたと考えています。これらの思考を通じて、過去の出来事を客観的に見つめ直すことができました。

 

 

「兄との対話:催眠術とのつながりを考える」

最近、兄ちゃんから催眠術師への依頼があったことで、私の声がますますしつこくなったのは、その依頼に関係しているのではないかと考えました。この依頼の理由について、いくつかの可能性を考えてみました。

まず、1つ目の理由として、兄ちゃんは私のすべてが妄想だと考え、私自身も妄想であると自覚するように望んでいるのかもしれません。彼は私に妄想だということを自覚させたいのかもしれません。

2つ目の理由として、本当に催眠術を使われていたことを自覚させたいと考えているのかもしれません。兄ちゃんは私が催眠術の被害を受けていたことを理解しており、私自身にその事実を自覚させようとしているのかもしれません。

3つ目の理由として、催眠術を終わらせるための行動を取るように私に促したいと考えているのかもしれません。兄ちゃんは私の苦しみを見て、その終結に向けて行動するようにアドバイスしてくれたのかもしれません。

最後に、4つ目の理由として、想定外の事態になり、兄ちゃんが収拾策を模索している可能性も考えられます。何か予想外の出来事が起きて、兄ちゃんは私のために解決策を見つけようと奔走しているのかもしれません。

私が妄想ではないと考える理由は、私が催眠術を使われていたと確信しているからです。もしも妄想だったとしたら、私が会社で皆から距離を置き、付き合わないようにしたことは誤りであったことになります。また、父ちゃんに対して悪い考えを持ったのは、大恩のある親を軽視する忘恩の者となるでしょう。これらを認めると、私の人生は嘘の人生だったことになり、その事実を受け入れることは到底できません。

 

 

「問題解決への一歩:相談の大切さに気づく」

私は長い間、問題を抱えているにも関わらず、他人と相談することができませんでした。しかし、ある日、月末の定時連絡メールを廃止することについて考える中で、初めて相談することの重要性に気づきました。最初は一方的に廃止するしか方法がないのかと思っていましたが、声の示唆により、兄ちゃんに相談するべきだという気づきがありました。

最初に考えたのは、一方的に廃止通告を出すことでした。しかし、再び声が私に言ったことで、それは兄ちゃんと相談するべきだという認識に至りました。この時の気づきはまさにコペルニクス的転回でした。私は自力で考え付くことはほとんど不可能であり、他人の意見や助言が必要なのだと痛感しました。

 

 

「声との闘い:現実と妄想の狭間で」

この1年間、私は自分の妄想とは無関係だと主張し続けてきました。しかし、同時に声は催眠術を使っていたと示唆し続けています。声(兄ちゃんの意思)は催眠術の存在を主張しながら、私の妄想にしようとしているという矛盾に悩まされています。

声に刺激されると、私は喋り続けてしまいます。ただ静かにすればいいという簡単な解決策は存在しません。催眠術は強力であり、その刺激に抵抗することは容易ではありません。

一方で、声は兄ちゃんと相談するようにも言い続けていますが、それは不可能な状況です。相談するためには、兄ちゃんが催眠術を使った非道な行為を認める必要がありますが、それは現実的ではありません。

私はこの声との闘いに苦しんでいます。現実と妄想の狭間で揺れ動きながら、真実を見極めることが難しい状況に立たされています。声の存在は私の日常生活に深い影響を与えており、孤独感や不安を抱えながらも日々を過ごしています。

 

「催眠術と倫理:禁止と解除の狭間」

催眠術によって行動を禁止し、後で解除することで問題はないという考え方があります。しかし、その間、その人は禁止された状態での人生を送らなければなりません。禁止が解除されることは、その間の人生を一瞬で無に帰すことになります。このような解除は容易ではありません。

しかし、法律上はお咎めなしとされていても、実際には傷害罪よりも深い罪だと考えます。法的に問題がないからと言って、家族がこのような催眠術を使用することは、一時的には依頼主に利益があるように思えるかもしれませんが、結局は双方が不幸になる結果を招くものです。

催眠術によって他者の意思や自由を奪うことは、倫理的な問題を引き起こします。人間の尊厳や個人の自己決定権を尊重することは重要です。他人の人生を操作し、自分の都合のために操ることは、家族や関係性においても信頼を崩壊させる可能性があります。

 

 

「催眠術と家族:罪悪感と理解の狭間」

家族の場合、催眠術を罪悪感なしに一生使い続けることができると声から示唆されました。本当なのでしょうか?私の場合、なぜ7年間も催眠術を使用されて放置され、その後も一生使われるのか、何が行われているのか疑問に思います。

一つの考えとして、老後の問題が発生した場合に介入するために使われるのかもしれません。しかし、それにしても私には全く理解できません。性格改善のためと繰り返し言われましたが、私にはそのやる気の意味がまったく理解できません。この説については考えることをやめようと思います。そんなことはしないと断言できます。

また、統合失調症の改善のためには、何でも良いからやりたいことをやらせるとのことです。しかし、何でも良いからではなかなか力を加えることはできません。何をやるかの種をまいてほしいという願いがあります。畑を耕し、種をまくことが必要です。種をまいて作物が育てば、畑も豊かになるでしょう。

そして、老後の問題があるようです。現在、前立腺炎の状態が不明であり、いつ死ぬかもわかりません。この問題に対して催眠術で何をするのか考えています。

一つは情報収集です。また、催眠術を通じて死の受容へと導かれる可能性があります。ただ、今はそれについて考えることを避けています。インターネットで調べた情報が受容に近い気分になるかもしれませんが、それは嘘っぱちの感じがします。何も悩まず、いつの間にか受容の状態になることはおかしいと思います。

 

 

「真剣な決断と繰り返される言葉」

スタンレーを辞めるとき、私は2週間もの間をかけて真剣に考え抜いた後、上司に申し出ました。しかし、声はその後で再検討すれば良かったと言います。馬鹿なことを言っているのではないでしょうか?私は真剣に考え抜いて上司に申し出た後で、何を再検討する必要があるのでしょうか。本当に愚かな話です。

辞めた後になって、反省を促すような働きかけを感じますが、これも馬鹿げています。私は真剣に考え抜いて辞めたのです。何を反省すべきなのでしょうか。

このような話が6年間も繰り返されると、当然ながらうんざりして嫌になります。同じことを何度も言われることには限界があります。私は真剣に考え、自分の意思で行動したのに、それを繰り返し言われることは、私の意思や決断を軽んじているように感じられます。

 

 

「催眠術への恨みを忘れ、アワビの刺身で儀式を終える」

催眠術への恨みやつらみを忘れることを決意しました。過去の出来事に囚われず、心の中に抱えていた負の感情を手放すことが必要です。そして、催眠術が終われば、それで全てが解決するのだと思いました。

私は自分自身に対して、新たなスタートを切るための儀式を設けることにしました。その儀式として、アワビの刺身を食べることを選びました。アワビは豪華な食材であり、特別なイベントや節目の時に使われることがあります。私にとって、この刺身は催眠術への恨みやつらみを忘れるための象徴となるのです。

アワビの刺身を前に、私は心を静め、深呼吸をしました。一切れの刺身を口に運び、味わいながら過去の感情を手放していくのです。この食事は単なる食べ物ではなく、私の心の中での儀式なのです。

 

 

「催眠術からの解放を目指して、グダグダ考えることを止める」

私はアワビを手打ちにして、それを催眠術からの解放の象徴としました。しかし、催眠術がまだ終わっていないという現実に直面すると、グダグダと考えざるを得ない状況になります。この点が私にとっての問題です。

現在、催眠術の影響を受けると、催眠術についてグダグダと考え続けています。しかし、まずは考えないようにする努力をして、結果が無駄に終わるのかどうか確かめるべきです。アワビを手打ちにした以上、この努力は一度は試みるべきです。

私の方策は、常にアワビを手打ちにしたことを念頭に置き、催眠術について不愉快に考えている自分に気づくことです。次に、意志の力を使って考えないように努力しましょう。もし努力が無駄だと感じたら、将棋や自律訓練法など別の方法で心をリセットすることも考えましょう。

しかし、実際に試みて気づいた点があります。グダグダな考えを止めようとすると、自然と意見を言ってしまうことに気づきました(ただ考えるだけですが)。また、意見を考えないようにしようとすると、何も考えずにいるしかありません。

このままでは問題ですので、新たな方策を考える必要があります。そこで、「グダグダ」というキーワードを意識しましょう。グダグダの程度で止めるかどうかを決めることが重要です。

 

 

 

「催眠術との闘いからの解放へ―声にまとわりつかれて」

私は過去の催眠術を使われた経験を、不問に付すことに決めました。これまでの苦しい経験を忘れずに、それを背負いながらも前に進むことを選びました。しかし、同時に、声の実態を兄ちゃんに連絡することも大切な課題です。連絡をするかどうかの判断は私自身が行いますが、その判断に向けて下書きを作成しました。

この6年間、私は声にまとわりつかれるような日々を送ってきました。声は要求を突き付けてきます。言葉やトーンはソフトに聞こえるかもしれませんが、その背後には強制力があります。声の要求に対しては、何度も何度も検討させられました。要求が通るまで何十回、何百回と同じ検討を繰り返しました。その繰り返しによって、私は疲弊し、感情も摩耗してしまいました。しかし、現在は回復していると言えます。

私は譲れない場面も多々ありました。そのような場合には、徹底的に攻められ、精神的にも肉体的にも疲弊しました。ただし、私自身が譲れないと判断した場合、話し合いの余地はありませんでした。どこと話し合うのか、雲をつかむような話です。

今回のブログ記事を兄ちゃんに送るべきか、やめておくべきか、悩みました。しかし、私はこの文章に問題がないと考えます。兄ちゃんには、私が声をどのように感じていたかを知っておいてもらうことが重要だと思います。催眠術に苦しんだ経験が私の人生に大きな影響を与えたことを伝える必要があります。



 

「催眠術との闘い―自覚と結論」

私は悪化した状況で2回にわたり、1カ月ずつ世話をしてもらいました。その間、私が催眠術によって操作されていた項目が明らかになりました。家族に年賀状を出すように、お中元やお歳暮を送るように、暑中見舞いを出すように。さらには外食や旅行、趣味の開始や介護保険の申請など、催眠術によって私の行動や思考が操作されていたことが分かりました。

重要なことは、催眠術が使われていることを自覚することです。そして、初発が父ちゃんのせいであるかどうかを決める必要があります。私は父ちゃんのせいだと判断しました。妄想によって幻想が生まれたことは自覚していますが、父ちゃんの関与が変えられない事実として存在していると感じています。しかし、変えられないという言葉では問題解決には至りません。何としても変えなければなりません。兄ちゃんは定時連絡に返事をくれなくなったという結論に至りました。

結論として、催眠術は自覚と結びつかなければ良いものだと思います。しかし、「妄想であったことを自覚せよ」という点が致命的な問題です。催眠術が私の人生に与えた影響を理解しながら、自己を取り戻すために戦っていく必要があります。